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日本における三十三所観音霊場巡拝の歴史は古く、永延二年(988)、花山法皇が河内国石川寺の佛眼上人に得度授戒を受けた時に、法皇が最善の報酬はなにかと佛眼上人にたずねたところ、二百七十年程前に徳道上人が三所観音霊場巡礼の道を創めたが、年とともに廃れてしまい、これを再興できるのは法皇の他になく、さらに観音巡礼の功徳は何物にも勝る浄業と答えられ、法皇は早速、佛眼上人・性空上人・弁光上人とともにご発足されたと伝えられています。

観世音は三十三の身に姿を現し、悩める人々を救うという観音経の諸説に基づいて、鍛錬と信仰を兼ねた行脚修行によって、異郷の風土を見聞きし、人の情けを体験する三十三ヶ所の観音霊場巡拝は、日本人の心に深く浸透しています。

発起人の永昌寺十八代東海亮道和尚は、布教伝道に渡台するたびに、現在の日本に失われつつある宗教心や人とのふれあいを台湾の土地で痛いほど感じ、個々の日本人が忘れている温かい心と深い信仰心を取り戻してもらいたいと考え、 台湾を訪れる日本人観光客に、数多くの寺院があることを知っていただき、その地を訪れる旅の道程に、多くの台湾人との温かいふれあいを体感してもらえることを願って、さらに同行二人-観音様と同行-で台湾聖地に巡拝する菩薩行を修してもらいたいと考えられました。

明治31年に梅山玄秀老師が初めて渡台して以来、日本と台湾の佛縁は深く、永昌寺第十七代東海宜誠老師は、大正四年から昭和二十年まで台湾各地で布教につとめ、多くのお寺を創建しました。

その偉功に報い、日本と台湾の尊いきずなを将来に繋いでいきたいと台湾三十三観音霊場巡拝を発起されました。

台湾三十三観音霊場御本尊「孝養観音像」は、日本発起人代表、永昌寺東海亮道和尚、台湾発起人代表、中国仏教会元会長釋浄心和尚、有縁の方々によって開眼法要が行われ、客番を含む三十五ヶ寺院に祀られています。

この台湾観音霊場を巡拝することによって、宗教心を深めるとともに、友好親善、世界平和の道に繋がればという願いが込められています。
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台湾には仏教信者が全国を行脚して霊場を巡る巡拝という習わしに馴染みはないようです。
宗教の本質は同じでも、国によって宗教観や風習に違いがあって、三十三観音霊場巡拝も日本人には馴染みのことでも台湾では新しい試みといえるでしょう。

台湾三十三観音霊場は臨済宗を中心に曹洞宗の5寺院を加え設立されました。

宗教人にとって仏縁が大きな絆となり広がりを見せていますが、台湾を訪れる日本人観光客にとっても、台湾を深く知る大きな機会を得たといえます。
訪問地が台湾の主要な観光地にとどまらず、三十三観音霊場を訪れることが、台湾の文化を知る手がかりとなり、今まで以上に多くの人々と出会い、温かい触れ合いを持てるでしょう。

また。台湾人の宗教観や宗教的な風習を知ることが三十三観音霊場巡拝の意義を高め、縁ある人への恩(孝行)を深めるという旅の本質を明らかにしてくれます。

台湾には私たちの感覚で捉えるところのお寺・仏寺や、在家信者が集まる斉堂。さらに、多くの寺院では神様が合祀されています。
たとえば台北のあるお寺では御本尊が観音菩薩ですが、たくさんの神様が祀られ、祖先のお参りと神様への御願いが同時進行。

神杯を使ったお神籤も当然のようにひかれています。お神籤の内容を解釈してくれるのは寺院を支えるボランティアの信者の方々。

確かに日本のお寺とは違うようですが、その違いを見つけて「なるほど」と納得するのが、実は楽しみなのかも知れません。

また、ただの観光にとどまらず未見の土地に足を向けることが新しい事柄や味わいに出会う確立を高め、それが旅の醍醐味につながります。

巡拝の意味あいは仏教的解釈以外に深く、それを紐解くことが心の旅と言えるのではないでしょうか。

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名 称 景久山 永昌寺
けいきゅうざん えいしょうじ
所 在 地 岐阜県武儀郡武芸川町高野

TEL/FAX

TEL(0575)46-2061 FAX(0575)46-1220
E-mail
URL http://www.taiwan33.com/eishoji/
宗 派 臨済宗
総本山 妙心寺
御本尊 十一面観世音菩薩
年間行事
1月1日〜3日 大般若
3月1日 開山忌 
8月上旬 施餓鬼
12月31日 除夜の鐘法要
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朱鷺書房刊 台湾三十三観音巡拝
編   者  東海亮道(岐阜・永昌寺住職)
著   者  野川博之
監 修 者  陳水源
 黄櫻楚
発 行 日  2004年3月20日
 
書籍:台湾三十三観音巡拝の購買先は

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東海亮道[トウカイリョウドウ]
 
1939年(昭和14年)、岐阜県生まれ。
1964年(昭和39年)花園大学卒 業
1965年池坊実践学園卒業
1965年〜1999年私立博愛保育所園長
1 979年(昭和54年)永昌寺住職となり同寺の発展に努め、現在に至る。
1972 年にタイ国・台湾を単身旅行以来、現在まで訪台二十数回に及ぶ。
1997年に台湾 三十三観音霊場の創設を発起
2001年4月に台湾にて台湾三十三観音霊場開光典 礼挙行し、台湾三十三観音聖地巡拝に尽力している
陳水源[チンスイゲン]
  1937年生まれ。
台湾観光協会大阪事務所前所長、観光局組長、処長を歴任、現在 顧問。
農学博士
黄桜楚[コウオウソ]
 
1945年拓殖大学卒業
その後安城農事試験場種芸部岩槻先生の稲作品種改良研究生となる。
1947年に台湾帰国
台南農事試験場技師、台湾製糖元明治製糖研究室技師、農務課長などを経て定年退職。現在は東呉大学特聘講師、拓殖大学台湾学友会連合会長、台湾三十三観音聖地聯誼会事務長
野川博之[ノガワヒロユキ]
 
1968年(昭和43年)生まれ。横浜市出身。
1991年、早稲田大学第一文学部 中国文学専修卒業。
1994年、同大学院文学研究科東洋哲学専攻入学、修士課程修了後(1997年)、博士課程入学、現在に到る(2004年単位取得退学予定)。
専攻は明清仏教(とりわけ黄檗宗)、および時宗(宗祖一遍上人)を中心とする日本浄土教。
2002年9月より台湾に留学中
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第1番・臨済寺(台北市)
 
第2番・十普寺(台北市)
 
第3番・霊泉禅寺(基隆市)
 
第4番・金龍寺(台北市)
 
第5番・凌雲禅寺(台北縣)
 
第6番・慈悟寺(台北市)
 
第7番・報恩寺(台北市)
 
第8番・昭明寺(台北市)
 
第9番・大覚院(台中市)
 
第10番・宝覚寺(台中市)
 
第11番・慈明寺(台中市)
 
第12番・妙祥寺(新店市)
 
第13番・仏教会館(台中市)
 
第14番・萬仏寺(台中縣)
 
第15番・善光寺(台中縣)
 
第16番・広修寺(屏東縣)
 
第17番・真巖寺(南投縣)
 
第18番・蓮光寺(屏東縣)
 
第19番・修徳禅寺(台南縣)
 
第20番・開元寺(台南市)
 
第21番・法華寺(台南市)
 
第22番・竹渓寺(台南市)
 
第23番・浄修禅寺(台南縣)
 
第24番・超峰寺(高雄縣)
 
第25番・蓮峰寺(高雄縣)
 
第26番・龍湖庵(高雄縣)
 
第27番・龍泉寺(新竹市)
 
第28番・龍泉寺(高雄市)
 
第29番・朝元寺(高雄縣)
 
第30番・瑠璃寺(屏東縣)
 
第31番・宝蓮寺(台南縣)
 
第32番・東山寺(屏東市)
 
第33番・光徳寺(高雄縣)
 
客番・信和寺(台南縣)
 
客番・接天寺(台南縣)